「よく来たね。あたしはメイド長。上から話は聞いているよ。あんたは貴族令嬢だったらしいが、ここじゃ身分は関係ない。掃除、洗濯、料理、その他の仕事すべて。できないなんて言わせないよ。こき使ってやるから、そのつもりで」
「はい、もちろんです」
にっこり笑って返事をすると、メイド長はちょっと鼻白んだ。
前世は一人暮らしで家事をやっていたし、今生の実家じゃあ奴隷や使用人の代わりにやらされていた。今更である。「箱入りのお嬢様だと思っていたのに、肝が座っているんだね……」
彼女は気を取り直すように首を振って、若い女の子を手招きした。
「この子はリリア。あんたの先輩として仕事を教えるから」
「……リリア、です」
大人しそうな少女だった。
年齢は私より少し年下の、十四歳か十五歳くらいだろうか。「荷物を置いたら、仕事に行ってきなさい」
メイド長に促されて、私たちは部屋を出た。
メイドの仕事はたくさんある。 まずは掃除。 広い軍団施設内を手分けしてきれいにする。 掃除機などないので、ホウキと雑巾が頼りだ。全部手作業だね。 兵士たちのベッドメイクもついでにやる。次に洗濯。
汗と泥で汚れた兵士たちの衣類が、どっさり洗濯に出される。 もちろん洗濯機はない。 洗うのも干すのも全て手作業で、かなりの手間である。あとは料理。
専属の料理人は一応いるのだが、数が少ないのでメイドたちが調理補助や配膳をする。 ガスコンロがあるわけもなく、かまどに火を入れるのも一苦労だ。一つ一つの作業自体はそこまで難しくないものの、とにかく量が多い。
メイドたちは手分けしてせっせと働いて、ようやく回っている状態だった。「フェリシア。頑張っているな」
仕事を始めて十日ほど経ったある日、黒髪の大柄な男性が声をかけてきた。年の頃は二十代前半くらいか。
切れ長の灰色の目をした涼やかな顔立ちの人だった。 彼は副軍団長の地位にいる人。つまりこの町で二番目に偉い人だ。 副軍団長――ベネディクトは真面目な表情で続けた。「貴族令嬢と聞いていたので、すぐに音を上げると思っていたが。メイドの仕事は汚れ仕事も多い。大変だろう」
「平気ですよ。リリアもきちんと教えてくれますから」
笑顔で言うと、ベネディクトはわずかに眉を上げた。
隣ではリリアが恥ずかしそうにしている。実際のところ、仕事はそれなりにきついが嫌になるほどではない。
実家でいびられていた頃に比べれば、まともな食事にありつける上に周りの人たちも優しい。 寝床もちゃんと藁が敷いてあって寝やすい。実家? 石の床にボロ毛布を敷いて寝ていましたが何か? 食べ物も腐りかけの残飯とか平気で出されたからなあ。 まあおかげで、私のお腹はハイパー丈夫になった。それに何より、やりがいがあるのがいい。
軍団兵たちは当然ながら、ほとんどが男性。 つまりここは、右を見ても左を見ても男ばかりの楽園なのだ! タイプもよりどりみどり、ベネディクトみたいな堅物からちょいヤンキー入ったみたいな人まで、BL妄想し放題ですよ! 職場環境、もう最高!思わず歓喜のよだれが出そうになって、慌てて笑顔で取り繕った。
ベネディクトは騙せたようだが、リリアは微妙な顔をしている。「困り事があれば、遠慮なく言うように」
ベネディクトはそう言って去っていった。
私は「ああいう真面目そうな人は攻めかな、受けかな~。普段は不動の心を持っているのに好きな人から誘惑されて我慢できなくなっちゃう系かな? まあ相方次第、カプ次第だな!」とか考えていた。この庭園はデートスポットだけあって、気分が盛り上がったカップルがそういう行為に及んでしまうらしい。 いや単にちょっと盛り上がったキスくらいかもしれんが、目の前の植え込みから聞こえてくるのは、まあ、そういう系のだ。「ずいぶんと苦しそうだ。救助した方がいいな、失礼!」「あ、ちょっと待って!」 私の制止もむなしく、ベネディクトはガサガサと植え込みに踏み込んだ。 そしてかき分けられた緑の向こうにいたのは――「わあっ!? 何!?」 予想通り、あられもない姿のカップルであった。 しかし声を上げたのは意外にも少年と呼べるくらい年若い男性で、彼を腕に閉じ込めて口づけているのも男性であった。 リアルBL!! リアルBLが目の前に!! 私は大興奮して頭に血が上るのを感じる。 やだ、もっと見たい。 失礼なのは承知で観察したい! 間近で! 私はカッと目を見開いて、興奮してくらくらしながら足を一歩踏み出し。「……失礼した」 押し分けられていた植え込みが元に戻り、彼らの姿を隠してしまった。「ベネディクトさんっ!」 湧き上がる不満と怒りのままにベネディクトを見上げれば、非常に気まずい顔をしていた。「すまない、フェリシア。私の先走りで不愉快なものを見せた」 先走り!? 先走りってあの、我慢汁とかそういうやつ!? いやそうじゃない、不愉快ってなによ。 そりゃあ覗き見したのは失礼だったけど、不愉快なわけないじゃない。むしろ眼福でしたけど?「不愉快とはどういうことでしょうか」「男同士のまぐわいなど、淑女であるきみには目の毒だろう」「そんなことはありません。覗き見してしまったのがいけないだけで、愛のありようは人それぞれではありませんか」 むしろBL万歳なんだけど!「不愉快呼ばわりしたのを謝罪しなければなりません。さあ行きますよ」「えっ」 再度植え込み
魔族の国から戻ってきた私は、ベネディクトに誘われてマーニュス庭園にやって来ていた。 ここは百数十年ほど前に海賊一掃作戦で活躍した武将が建造した庭園で、市民の憩いの場になっている。 というかデートスポットとして有名な場所で、周囲を見れば八割がカップル。 私は気恥ずかしくなったが、ベネディクトは気にした様子もなく散策を続けていた。「この前、浄化で魔族の国に行った時、グランと話し合いました。今後の魔族の国をどうするかです。彼らは魔道具をユピテルに輸出したいと言っていましたが、何の規制もなく行えば魔族が不利な取引が増えてしまうのではないでしょうか。魔族たちは純粋すぎて、商売が不得手です」「そうだな……。彼らは我が国の恩人だが、貪欲な商人たちはそんなことを気にしないだろう。搾取にならないよう法案で規制すべきだ」「魔族たちは農業と狩猟を生計にすると言っていました。ただ農業は広い土地を耕す経験がなくて、技術上の不安があるようです。ユピテルの技術を教えるのは可能でしょうか?」「無論可能だとも。ただし技術派遣がそのまま土地の占拠などに繋がらないよう、監視する必要はある。魔族は土地の分配政策を考えているだろうか?」「ユピテルの政策を参考にしたいとのことでした。ただユピテルも、共和国時代に農地法を失敗していますからね……。貧富の差が拡大しないよう初期政策はよく練らないと。せっかくの新しい国の門出ですから、できるだけいいものにしたいです」「うむ。ユピテルの過去の失敗と成功を鑑みて、よりよいものを考えよう」 デートの話題としては色気がないけど、私たちの会話は割といつもこんな感じだ。 何せベネディクトは皇太子。次期皇帝。 私は聖女。建国の聖女様以来続く護国を司る存在なのである。 聖女は皇帝もしくは皇太子に嫁ぐ慣例だが、いろいろあってそれはいったんナシになった。 ベネディクトの前の皇太子はそれはまぁひどいクソ野郎で、勝手な理由で私との婚約を破棄したわけで。ついでにクソすぎて廃嫡になったわけで。 父親の皇帝はその手前、私の結婚
以前であれば北の黒い森に魔物が出るせいで通行不可能であり、天然の要塞の役割を果たしていた。 けれど今はそれもない。深い森ではあるが、踏破はそんなに難しくない。 私はため息をついた。「やっぱり、早急に魔族の国を独立国、友好国として承認させるのが先決だと思う」「そうですな。我々は他国との外交というものにまったく慣れておりません。瘴気で土地が分断されていたせいで千年以上、他種族との接触がほとんどなかったのです。フェリシア殿やベネディクト殿が教えていただけると大変助かるのですが」 ゴードンの言葉に私はうなずいた。「ベネディクトさんは魔族の事情をよく分かっています。ユピテルの首都を救えたのも、魔族の魔道具があってこそ。彼は不義理をするような人じゃありません。皇帝陛下とも相談して、元老院や商人たちの暴発を抑えるよう交渉してみます」「頼むよ。頼むことしかできなくて、情けないけど。僕もできることは頑張るから」「うん。じゃあ今度、ベネディクトさんにこちらに来てもらって話し合いましょうか。私だけでは今の政治がどうなっているのか、わからない点も多いし」「了解。……それにしても」 首を傾げたグランに私は目を向ける。「何かしら?」「ねえフェリシア。やっぱり魔族の国で暮らさない? 瘴気はもちろんだけど、あなたみたいに博識でユピテルとの窓口になれるだけの人、魔族にはいないんだ。僕と一緒に暮らして、魔族の国をもり立てて行こうよ。そしたら皆も喜ぶよ」「それは……」 私は苦笑した。 聖女である私をユピテルは手放そうとしないだろう。 皇太子となったベネディクトが求婚してきたのも、政治的な打算がないとは言えないはずだ。 瘴気の発生メカニズムは不明な点が多く、一度は浄化した土地でも再発生の可能性がゼロではないからだ。 建国の聖女様は未だ祭壇に残っているけれど、彼女だって光の魔力の全てを知っているわけではない。「僕のお嫁さんになってよ。諦めていないんだからね」
魔族の城ではゴードンと他の人たちが出迎えてくれた。 ドラゴンのグランが城の前に着地すると、ゴードンが手を伸ばして私を降ろしてくれる。 それからグランが身震いして人の姿に戻った。この変身はいつ見ても不思議である。「お疲れ様です。浄化は問題なく済みましたか?」「ええ。それは簡単に終わったわ」「それは、ですか。他に何か問題が?」「ちょっと込み入った話だよ。中で話そうか」 グランの言葉で私たちは城の中に入った。 応接室として使われている部屋に腰を下ろすと、猫耳侍女さんがお茶を入れてくれた。「我が国の今後について、軽く話していてね。僕らは今まで、汚染されていない狭い土地にしがみつくように暮らしてきた。それが突然、見渡す限りの土地が全て我が物になったんだ。何をどうして暮らしていくか、まだ見当もつかない。農業か、狩猟か、はたまたユピテル帝国との交易か。自由にできるからこそ、何を選ぶべきか分からなくなってしまっている」 グランの言葉に皆がうなずいた。 ゴードンが言う。「フェリシア殿はどうお考えですか? あなたはユピテル人で、あの国で高度な教育を受けたと聞いています」 聖女教育に皇太子妃教育は、当時は死ぬほど面倒くさかったが。 こんな時に役に立つとは。「ユピテルとの交易は、慎重にやった方がいいでしょう」 言えば、魔族たちは意外そうな顔をした。「何故? ユピテルは豊かな国で、僕たちは彼らにない魔道具の技術を持っている。今後農業の開墾が進めば、農作物の輸出だってできるだろう。良き隣人として付き合っていけばいいのでは?」「ユピテルはああ見えて欲深い国なのです。最近こそ拡大路線はやめて国境画定に力を入れていますが、ほんの数十年前までは対外戦争をよく行っていました。魔族の土地に旨味があるとなれば、大挙して押し寄せて踏み荒らしかねない。これは軍隊が出てくる戦争という意味だけではなく、商業上の意味でもそうです」 ユピテル商人たちは百戦錬磨の手強い人々だらけだ。そして儲けにひたすら貪欲でもある。 無知
北にある魔族の土地は瘴気がほとんど浄化されて、人の住める土地となった。 特に瘴気の濃い場所は未だに少し残っているケースもあるが、発見されたら私が出向いて浄化を行っている。 瘴気からは魔物が生まれて、魔物からもまた瘴気が生まれる。 放置して広がってしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうからだ。 魔族の飛行兵たちが積極的に土地を見て回って、目を光らせている。空から見れば一目瞭然だからだ。 魔物はもうほとんど出ないから、監視兵たちの危険も少ない。二~三人程度の小隊を組んで見回りを行っているそうだ。 というわけで、今日も小さな瘴気溜まりを浄化した。 魔族の城から北東にある、元は沼地だった場所だった。「特に問題なかったね」 私を背中に乗せているドラゴンのグランが言うので、うなずいた。「私も光の魔力の扱いに慣れたわ。ただ、これだけ広い土地だから。少しの瘴気も見逃さないというのは、けっこう大変」「うん。少なくとも北の山脈までの土地は、瘴気がない状態にしておきたい。かなりの広さだ」 北の山脈は自然の要塞として瘴気の侵入を阻んでいた歴史がある。 けれど瘴気は最後には山を乗り越えて南の平原までやってきた。 それからの汚染のスピードは早く、歴代の魔王が魔力の障壁で阻んでいながらも次々と追い詰められる羽目になったのだ。「北の山脈までの土地をしっかり確保できれば、山裾を監視するだけで良くなるから。そうなればいくらか楽だと思う」「早くそうしたいわね」「十年以内にはできると思うよ。この一年でだいぶ減らしたしね」 話しながらも、ドラゴンのグランは素晴らしいスピードで飛んでいく。 彼は魔王なだけあって、他のどんな魔族よりも速い速度で空を駆けることができる。 瘴気溜まりを見つけたら、素早く現地まで行けるのは大きなメリットだ。 もちろん力も強いので、多少の魔物が出ても簡単に蹴散らしてくれる。「それにしても、これだけの広大な土地……」 グラン
デキムスが再び詠唱を始める。その手に炎が灯った――、いや灯ろうとした瞬間、「いたっ!?」 彼は額を抑えてしゃがみ込んだ。詠唱が中断されたために炎も掻き消える。 クィンタを見ると、ニヤニヤ笑いながら何やら手で弄んでした。「勝負ありだな。戦場じゃあ毎回ちんたら詠唱している時間があると思うな。そんなだから単純な手に引っかかるんだよ」「なにをしたんですか?」 私が問うとクィンタは肩をすくめた。「小石を投げただけ。クリーンヒットしたら、あんなもんだ」「小石……」 デキムスは涙の浮かんだ目でクィンタを見上げる。額がちょっと割れて血が滲んでいた。 なかなか痛そうだ。あとで光魔法で治してあげよう。「誰も魔法限定の勝負だとは言ってねえだろ。お前は風が使えるんだから、小石程度は防げたはずだ。食らったのはただの油断、怠慢。はい以上」「ううう……」 デキムスはがっくりとうなだれている。 そんな彼をちらりと見やってクィンタは続けた。「実力が上がったのは認める。お前が努力したのもな。だからこそあらゆる面に注意を払え。誰かを守りたいんだろ?」「……クィンタ隊長」 デキムスが目を上げる。「俺はお前より強いから、守ってもらう義理はねえが。軍団の仲間でも市民でもいい、守るべき相手は他にいる。もっと経験を積め。今度こそ後悔のないようにな」 デキムスはクィンタの言葉を噛みしめるように聞いて、ゆっくりとうなずいた。 それから額の血を拭って立ち上がり、礼の姿勢を取る。「ご指導ありがとうございました。僕はまだまだ未熟だと実感しました」「おう。素直なのがお前のいいところだ」「でも必ずクィンタ隊長に追いつきます! 仲間たちも市民も隊長も、僕が全員守ってみせますから!」「お、おう」 詰め寄らんばかりのデキムスにクィンタはだいぶ引いている様子だ。